──ミラモアの象徴、金魚の話。
今思えば、ちゃんと話したことがなかった。
僕の右手首には、赤を基調に、紅赤、朱色、黄色がグラデーションに混ざり合い、水の流れを感じさせるような長い尾ひれをもつ金魚のタトゥーが泳いでいる。
フォルムにはこだわりがある。細く長い胴体に、しなやかで長い尾。よく鯉と間違えられるけれど、ここまでいくともう金魚の原型とは少し違って、異種な存在になっている。
僕にとって皮膚は、自由帳であり、スケッチブック。
すべてのタトゥーには、その時々の自分にとっての意味とタイミングがある。
この金魚を彫ったのは2014年。
東京からニューヨークへ拠点を移したばかりの、期待と不安と、ほんの少しの絶望が入り混じっていた頃だった。
あのまま東京でキャリアを積んでいたら、おそらく順調な人生だっただろう。
でも、ニューヨークはそうじゃなかった。
どこに行っても、何をしても、仕事が見つからない。
東京での実績なんて、ニューヨークでは一切通用しない。
この街で問われるのは、「何をやってきたか」より「誰を知っているか」。
そんな壁にぶつかっていた僕に、友人がふと言った。
「金魚ってね、美しくて妖艶で、昔は金魚が死ぬと災いを一緒に流してくれて、そこに新しい幸運が入ってくるって言い伝えがあったんだよ」実際に調べてみると、そんな話はどこにもなかった。でも、それでいい。
言い伝えなんて、そもそも伝言ゲームのようなものだと思っている。
語り継がれるうちに、誰かの解釈や願いが混ざり合い、少しずつ姿を変えていく。
だからこそ、僕にとっての金魚は、僕なりに再解釈した存在。
意味なんて、人それぞれでいいし、むしろその方が面白い。
災い=葛藤。
幸運=ニューヨークで生き抜く力。
そう願って、金魚を彫ったのだと思う。
でも、僕の金魚は、もっと個人的で、もっとオリジナルな存在。
そして今となっては、幻の存在になった、唯一金魚をモチーフにしたミラモアのジュエリー。
それが、金魚コインチャームや「泳ぐ金魚チャーム」だった。
「流れをつくる存在」ーーそれが僕にとっての金魚だった。
ミラモアの金魚のロゴは、4匹の金魚が時計回りに泳ぎ、真ん中には「M」。
それは祖母・ミラグロス(Milagros)の「M」でもあり、愛(Amore)の「A」でもある。
自分から始まる、自分だけの家紋みたいなもの。
空気も、水も、血流も、リンパもーー流れが滞れば、腐ってしまう。詰まれば、死んでしまう。
だから僕は、いつも「流れ」を意識している。
流れに身を任せる。
でも、ときには、自分で流れをつくる。
何があっても、流れを止めない。
ニューヨークで苦しんだあの頃の自分は、ある意味「死んだ」僕だった。
でも、そこから今の自分に再生した。
生き直した。
新しく生まれ変わった。
きっと僕は、「循環」や「再生」が、ただただ好きなんだと思う。
流れに身を任せて、流れを流す。
稲木ジョージ
ミラモア創設者&金継ぎ哲学者