命、喪失、生まれ変わり。

コラム

命、喪失、生まれ変わり。



変化は、ひび割れから始まる。

金継ぎの美学は、損傷を隠すのではなく、むしろそれを際立たせることにある。

「新品のように元通り」ではなく、「新品以上の価値」を持つものへと変わるのです。
「景色」と呼ばれる有機的な光り輝く黄金の線は、ひび割れをその物の勲章に変え、新たな美しさと視点を生み出します。


これこそが金継ぎの本質。修復と再生の哲学であり、自分の生き方やクリエーションを通じて大切にしている考え方です

金継ぎの技術は、1500年代の室町時代から日本で受け継がれてきたとされています。この技術は「もったいない」という日本独特の思想と深く結びついています。

「もったいない」とは、物や限られた資源を大切にし、無駄を惜しむという心から生まれる考え方。英語に翻訳がなく、日本人らしい表現の一つである。
金継ぎは持続可能性だけではなく、物に対する敬意の重要性を教えてくれるものであり、現代の無限消費文化とは対極にあるものだと感じます。

最近、クライアントから印象深いストーリーをいただきました。それは、命、喪失、生まれ変わりについて深く考えさせられるものでした。

彼は亡くなったお母様が持っていたネックレスをなくしてしまい、その代わりとなるブレスレットを探して僕のところに来ました。ネックレスは、単なるジュエリー以上のもので、彼にとってお母様との絆と思い出の象徴でした。

ジュエリーはアクセサリー以上の存在であると改めて感じました。それは非常に個人的で、時には人によって「第二の皮膚」のような役割を果たします。
彼の話を聞いて、僕の作品が単なる装飾品ではなく、人々の記憶や思い出を運ぶ器であることを改めて実感しました。

彼にとって探しているブレスレットは単なる「代わりの物」ではなく、
彼が共有した記憶を永続的で形あるものに変える「生まれ変わり」の象徴だったのです。

「母は『生まれ変わり』を信じていました」と彼は語る。「彼女は自分の名前で木を植えてほしいと言っていたんです。」

僕はその言葉に深く共感しました。
僕も、祖母のローラ・ミラを「生まれ変わらせた」のです。木ではなく、ジュエリーと僕自身の「目的」へと。

僕は祖母とフィリピンで育ちました。そこでは、両親が海外で出稼ぎ、祖父母が子供を育てることはよくあることです。自然と、僕は実の母親よりも祖母と深い絆でつながっていました。

ローラ・ミラはダイナミックでカリスマ性があり、堂々とした存在感を放つ人でした。その強さゆえに、彼女を少し怖いと思う人もいたかもしれません。でも、僕にとって彼女はロックスターのような存在でした。

最後に彼女に会ったのは、フィリピンの病院でした。
彼女は体力的には弱っていましたが、精神的には変わらず強く、僕が無条件で愛する彼女そのものでした。

「シャネルの香水と食べ物を持ってきてくれてありがとう」と彼女は言いました。「この病院は臭いし、食べ物もまずい。早くここから出せ。」

その言葉に僕は思わず笑いました。彼女の最後の瞬間でさえ、彼女は変わらない「ローラ・ミラ」そのものでした。

数週間後、彼女はこの世を去りました。

心の準備をしていたので、それほど涙は流れませんでした。
代わりに、彼女の大胆さやキレのあるコメントを思い出し、それが僕を笑顔にしてくれました。

彼女がいなくなっても、僕は彼女とのつながりを感じたかった。
だからこそ、彼女の名前「ミラグロス」とイタリア語で愛を意味する「アモーレ」を組み合わせて「ミラモア」と名付けました。

彼女は今も、僕の人生の愛そのものです。

ミラモアを通じて、ローラ・ミラは今でも生き続けています。
彼女は僕のブランドであり、目的であり、クリエーションの原点です。

絵を描いたり、粘土で遊んだり、何かを創造するという子供時代の喜びを思い出させてくれました。
でも、大人になるにつれて、その情熱は遠のいていきました。
現実に直面し、生き抜くための実用性に集中せざるを得なかったからです。
しかし、ミラモアを通じて、僕はその失われた情熱と再びつながることができました。

金継ぎについて考えると、僕自身も「壊れていた」ことに気づきます。粉々に。

でも、その亀裂こそが、僕が再構築し、より強く、より完全な自分に成長するきっかけとなりました。

金継ぎは単なる哲学ではなく、僕の人生そのものです。




時々、ローラ・ミラの夢を見ます。
涙を頬に走らせながら目を覚ますと、彼女が僕を誇りに思ってくれているように温もりを感じます。
何をするにもローラ・ミラの存在を感じるのです。

彼女は生まれ変わりました。

「新品のように元通り」ではなく、「新品以上の価値」を持つ素晴らしいミラモアとして。

 

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