“If I can make it there, I’ll make it anywhere. It’s up to you, New York, New York”
フランク・シナトラの名曲「ニューヨーク、ニューヨーク」を初めて聴いたのは、真冬のセントラルパークでした。息が凍るような寒さの中でモンクレールのファッションショーがスケートリンクで開催されており、合唱団とスケーターたちがパフォーマンスをしている最中、この曲を聴き、湯気たつアップルサイダーを飲みながら、根拠もなくニューヨークに住む決心をしました。それは20代前半のことです。
様々な縁があり、2014年からすでに10年以上ニューヨークに住んでいます。ニューヨークは自分にとって、残酷でありながらも比べようのない鮮烈なエネルギーを持つ都市です。高層ビルやファッション、エンターテインメントも魅力的ですが、それ以上にニューヨークのタフなアティチュードと効率的な時間軸が自分を惹きつけます。効率だけで生活すると疲れることもありますが、それでもこのペースが今の自分には合っていると感じます。
逆に聞かせてください。読者の皆様にとってのニューヨークのイメージは何ですか?多くの人が「カッコイイ」や「キラキラしている」と思っているのではないでしょうか。この街には普通の人は住んでいるのか、と思えるくらい個性が豊かで、何よりも人間観察が面白いです。自分が興味を持つのは、自己表現が開放的で独自のスタイルを持っている人々です。
SOHOで戯れる「クールキッズ」がお手本。若い時はお金がなくても、それがかえって創造性を生むと信じています。限られた予算の中で、人々は試行錯誤を繰り返し、新しい、カッコいいものを創造出来るのです。
ニューヨークは時に無慈悲で、人によってはこれが冷たく感じるかもしれませんが、その淡々とした態度が時に逆に人間らしく感じられ、「やってやるぞ」と、燃える。
「この街誰と知り合いなの?」と、自分がやってきたことではなく、人脈をダイレクトに聞かれ、それに釣られてついつい名前を言ってしまって自分に嫌気がさしたこともあります。本質ではなく、人脈なのか。そのやり方に従うべきなのか。いや、それでは歯車で一生懸命走っている到着地点もないネズミと一緒になってしまう。
それはジョージのやり方ではない。危うく自分を見失ってしまう、自分が気づいていなかっただけですでに見失っていたのかもしれない。
自問自答を繰り返し、細胞分裂を繰り返し、継がれた今の自分が存在します。
10年住んでいて、やっと友達と言える友達ができ、自分が選んだ家族にも巡り会え、自分が理想としていた遥かこえる経験をさせてもらえていると感じています。
それではずっとニューヨークに住みたいかと聞かれたら、今の答えは「とにかくあと10年はこの街で頑張る」というのが正直な気持ちです。アメリカという国は日本と比べて、社会保障がなく、生きにくいことがわかったからです。果たしてアメリカンドリームは何なのか、自分自身に問う出来事が多々あります。
怒りと葛藤を乗り越えて、行き着いた答えはノイズをシャットアウトし、自分のお皿の上にある課題を一つずつ潰すことです。ニューヨークは夢と幻想、怒りと葛藤。この両極端なエネルギーがあるからこそ計り知れない魅力を放っているのかもしれません。
フランク・シナトラの曲はまさしくその通りで、「ニューヨークで成功できたなら、どこでも成功できる。ニューヨークよ、君次第だ。」を聞き繰り返しながら、「Designed in New York, Handcrafted in Japan」のミラモアで成功したいものです。
次回は自分のクリエイティブオアシス、今まで話したことがない「キャッスル」について書こうかな。
稲木ジョージ
ミラモア創設者&金継ぎ哲学者
ミラモア創設者&金継ぎ哲学者